アカチェリーナ4世

LINEnote

Fashion

Policy

好きな服を着たい「”フツウ”強要される社会」との戦い

好きな服を着るということは、実は辛いことだ。
私は自分の好きな服を着たいんだ!とずっと戦ってきた。
何との戦いか。
それは、変わることや”フツウ”と違うものを極端に排除しようとする社会とだ。
私ははっきりとした色の洋服が大好きだ。
自分で自分が一番似合う服はなんなのかをよく分かっている。
でも周りはそうじゃない
私に「似合う」「似合わない」関係なく、
「周りと同じ服を着ろ」「目立たない服を着ろ」「周りに後ろ指を差されない服を着ろ」
まずは小さな社会である「家庭」で私は後ろ指を差され、とにかく否定され、「みんなおかしいと思ってるよ」と多数決を引き合いに出して非難された
家族からの否定のせいで、周りの人からどう思われているかが怖くなるようになってしまった
でも私は負けなかった。
だからこうして今も好きな服を着ている

「ネガティブな評価」ばかり「間接的な否定も」

次は家族以外の人間たちの集合体である「社会」
私が自分の好きな服を着て街を歩いているのを見つけて、わざわざ後になってから
「街で見かけて、声をかけようと思ったけど、服が派手すぎて、一緒にいた友達がナニアレ?って言いだしたから、恥ずかしくて声かけなかった」
と言われたことがある。こういう「直接的ではない否定」もされた。友達だった人に「今日一日一緒にいて恥ずかしかった」と言われたこともある

せめて「好きな服を認め合える世界」を作りたい

結局、自分に害が来るかもしれないことを人は恐れている
しかし、奇抜な服を着て歩いている人間を見る大勢の人たちは、一緒にいる「社会的に受け入れられる」無難なファッションをしている人のことを見るだろうか?
多分、恥ずかしい思いをするのは、私一人なんじゃないだろうかと思っていた。一緒にいる人のことは、多分、誰も見ていない

そう言ってくる人は、大体ベージュの服を着ていることが多い。
だから私は今でもベージュは
ばあちゃんが編んでくれたチョッキと、親父が来ていたジャンバーしか持ってない

きっとこの先、「年相応の服を着ろ」と言ってくる社会と戦っていくことになるんだろう
「人の意見なんて気にしなければいい」と思える人は、きっと家族には受け入れてもらえて自己肯定感を高くすることができた人なんだろう
多様性を認めようとか、きれいなことを言っていても、「社会」はまだ、おかしなものを嫌っている

せめて、自分がこれから作る世界では、みんなのファッションを認め合える世界をつくりたい

Hair

{{ movie.title }}